真柄建設 RECRUIT真柄建設 RECRUIT

社員今昔物語

山崎 茂 さん

■入社年:2002 年
■役職:東京土木事業部工事課課長代理

■配転経歴
1年目:北陸本店 土木工事部工事課
8年目:東京支店 土木部 工事課 主任
8年目:大阪支店 土木部 工事課 主任
10年目:東京支店 土木部 工事課 主任

《学生時代~入社》

北陸を知らない自分が、
金沢の真柄建設を選んだ理由。

福島県生まれで、東京の大学で土木を学びました。土木科を出るとコンサルタントになるか、役所に入るか、ゼネコンに行くかという選択になります。自分には図面とにらめっこする仕事や、役所勤めは合わないと思い、就職はゼネコンと決めていました。
就活時期は就職氷河期の真っただ中。会社四季報を見て大手ゼネコンを片っ端から受けました。その中のひとつが真柄建設でした。石川どころか北陸にも一度も行ったことがなかった私ですが、金沢には何となく魅力を感じていました。そして何といっても惹かれたのが、石川は自分が大好きな巨人の松井選手(当時)の故郷だということ。単純かもしれませんが、そう迷うことなく真柄建設に入社しました。

《新人時代》

「自分に何ができるか。何をすべきか」現場で考え、行動する。

入社後に配属されたのは北陸土木事業部です。初めての現場は穴水の寺田川ダムでした。テレビも映らないような場所で約半年過ごした後、すぐ近くの能越自動車道穴水道路の高架橋下部工事の現場に移動しました。
現場では、工具の重さも知らない自分が、年上の職人さんに指示が出す立場になります。自信を持って指揮が取れるようになりたいと考え、今だったらできませんが、生コン打ちや鉄筋を組む現場作業に率先して取り組みました。夜遅くまで職人さんが働いている姿を見て、夜食のおにぎりを買い出しに行ったり、ごみを運んだりしたことも。そういう姿勢が職人さんとの信頼関係づくりにつながったのだと思います。現場監督の仕事である測量に間違いがあったときも「しゃあないな。今度ジュースおごりやぞ」と笑って許してもらえる間柄になりました。
工期がない中、大晦日に現場でみんなで年越しそばをすすったことを覚えています。やっているときは辛いこともありましたが、今となっては楽しかったなと思えます。

いいことばかりではなく、やらかしてしまったこともたくさんあります。
若手は現場で工事写真の撮影や管理を任されます。現場写真は工事の工程を間違いなく行っているという証拠で、完成検査時に必要不可欠な重要なものです。ある現場でそれまで撮影した工事写真を整理していたところ、何かの手違いですべて削除してしまいました。何をしてもデータを復活させられない状況が続き、「俺はもう終わった」と頭が真っ白になりました。結果的にはパソコンのハードディスクにバックアップがあって助かったのですが、その現場の近くを通るといまだにその時の焦りを思い出します。

《ステップアップ》

心に残る仕事、
歴史に残る仕事を手がける。

入社して4年目くらいに金沢市の山側環状道路の月浦トンネルを担当しました。工期は約2年半。初めて体験する大規模な工事です。竣工後に家族でドライブしそのトンネルを通過する際、「このトンネルはパパが掘ったんだよ」と子どもに自慢しました。

現在は東京土木事業部に配属され、2020東京オリンピック・パラリンピックの競技会場となる「海の森水上競技場」のメイン道路をつくる工事に携わっています。従来の道路を壊し、10万立米の土を盛って2mほどかさ上げし1.5㎞の新しい道路をつくるのですが、もともと埋め立て地であり地盤が軟弱なので慎重に進めています。
周辺では真柄建設を含めて10の建設会社がさまざまな工事をしており、重機や資材が運ぶための道路使用の時間配分などの仕切りが必要になります。そこで工事関係者が集まる協議会が立ち上がったのですが、私が幹事として会議の資料作成や議事進行を任されました。各社の要望を聞き、妥協点を探り、工事が円滑に進むよう調整する仕事は、これまでになく難しく責任の重い仕事でしたが、何とかやりとげました。工事の発注者である東京都の担当者から感謝の言葉もいただき、ほっとしています。

《これからのこと》

先輩に育てられた自分だから、
これからは後輩を育てたい。

土木部は“One For All, All For One”の精神が浸透しています。たとえば、私が技術士の資格取得に向け勉強しているときは、総勢10名の先輩や上司が入れ替わり立ち代わり論文の書き方を教えてアドバイスしてくれたり、面接官の役をかって出てくれたりとサポートしてくれました。真柄建設では技術士の保有率が他のゼネコンと比べて高いのですが、これはみんなで人を育てようという社風があるからだと思います。
先輩に育てられた自分だから、今度は自分が後輩を育てたいと素直に思えます。若手を育てることで自分を成長させ、会社を成長させる。それがこれからの自分の役割だと思っています。