真柄建設 RECRUIT真柄建設 RECRUIT

プロジェクトストーリー

MAGARA
Project Story

平成の築城プロジェクト

~金沢城「橋爪門・二の門」復元工事~

工事名:金沢城公園整備(橋爪門)工事(建築)
工事期間:平成24年1月25日~平成26年12月19日

金沢城公園の石川門をくぐると、右手に「河北門」、左手に「菱櫓」「五十間長屋」「橋爪門続櫓」「橋爪門」が目に飛び込んでくる。いずれも平成に入ってからの金沢城公園の整備事業で完成した建築物である。中でも最も新しいのが橋爪門で、2015(平成27)年3月7日に一般公開された。
新しいというと語弊があるかもしれない。平成の築城プロジェクトは、発掘調査で確認された礎石や石垣を根拠に、史実に即して行われたのである。
真柄建設は、橋爪門を構成する二の門の復元工事に携わり、多くの職人とともに、現代にその威容をよみがえらせた。

Project 01

失われた城郭を現代に復元する

北陸新幹線金沢開業を目前にした2015(平成27)年1月。真柄建設建築工事部の新保晃は、金沢城公園にあって静かに一般公開を待つ「橋爪門」を見上げていた。その胸中には、2年9カ月の長きにわたった工事期間の思い出が去来していた。

金沢城は、言わずと知れた加賀藩前田家の居城である。1631(寛永8)年の大火の後、城の中枢は本丸御殿から二ノ丸御殿に移った。その結果、橋爪門と続櫓、五十間長屋、菱櫓などの建造物が御殿を取り囲むように立ち並んだ。これらの建物はその後も焼失と再建を繰り返し、明治に入ると兵舎として利用されたが、1881(明治14)年に兵士の失火により灰燼に帰した。
1996(平成8)年、石川県は金沢城公園の整備事業に着手。2001(平成13)年には菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓が、2010(平成22年)には河北門が復元整備された。真柄建設はこれらの一連の工事に関わり、河北門復元工事では新保自身はサブ監督的な立場を務めた。そして橋爪門の復元工事にあたっては、経験と知識をかわれて作業所長に抜擢されたのである。

真柄建設建築工事部 新保 晃

Project 02

史実を尊重した
復元工事がスタート

橋爪門は、石川門、河北門と並んで三御門と呼ばれ、二ノ丸御殿へ至る最後の門として、出入りに厳しい制限がかけられていた。構造としては、高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる枡形門である。

今回の橋爪門の復元工事は、焼失を経て1809(文化6)年に再建された当時の姿を目指すもので、専門家チームによる史実の検証や遺構の確認などの調査からスタートした。
現存する石垣には柱の中心線を示す「鑿切」の跡が確認された。発掘調査では二の門の柱の礎石基礎(根固め)が発見された。さらに明治初期の橋爪門の写真が残されていることから、建物の高さや窓の位置などを推測することができた。これらの調査の成果をもとに、橋爪門の設計図や完成予想図などがつくられ、2012(平成24)年1月25日に着工を迎えた。

真柄建設が担当するのは、橋爪門の二の門の建築工事である。発掘遺構の上に伝統建造工法を用いて高さ13メートル、延床面積約130平米の木造2階建ての門を建築し、すでに復元されている橋爪門続櫓とつなぐ、という内容である。

二の門の床には、その格式の高さを示すように二ノ丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれている。内部2階には番所が置かれ、役人が橋爪門の通行に対してにらみをきかせる―。
図面を眺める新保の頭の中には、まるでタイムマシンに乗って見てきたかのように、橋爪門の生き生きとした姿が立ち上がっていた。

Project 03

個々の技を総合的を生かす
施工管理技術

工事は石工、大工、左官工、板金工、建具工など県内の職人が集結して行われた。技術の伝承の意味で、熟練工だけでなく若手職人も多数参加した点が特徴的である。

「城郭建築の復元工事は、新たな建築物をつくる工事ではなく、伝統建築物をよみがえらせる工事です。現場では職人の専門的で高度な技術力が必要ですし、同時に個々の技術を総合的を生かす施工管理や工程管理が求められます」と新保は語る。

木工事については日本古来の木造軸組工法を採用し、柱と梁などの接合部分は、釘などの金物を用いない仕口・継手の工法とした。建材には能登ヒバなど県産材が多用された。新保は加工前の原木の品質を1本1本確認するため、職人と一緒に何度も能登に足を運んだ。
左官工事は、「木舞」と呼ばれる格子状の竹枠の上に土を塗り、さらに漆喰を重ねて仕上げる工法をとる。それぞれの工程で十分乾燥させる必要があるが、冬季に多湿である石川の気候条件を踏まえて、乾燥時期を勘案しながら工程を組んでいった。
屋根には瓦ではなく、瓦状に加工した木板に薄い鉛の板を貼り付けた鉛瓦が用いられているのが金沢城の特徴である。橋爪門の屋根も例外ではなく、大工と板金職人がコラボして施工が行われた。屋根の軒先や破風部分は銅板による化粧仕上げが施された。一方、屋根の下地として薄い木材を竹釘で打ちとめていく「土居葺き」については、県内で職人を確保することができず、他県から専門の職人を招いた。

漆喰仕上げ

橋爪門(ニの門)の軸組み

屋根鉛瓦葺き

Project 04

創意工夫で工事中の建物を風雨から守る

これらの工程を円滑に進めていく上で課題となったのが雨対策である。
新保は建方工事において木部が雨ざらしにならないよう、大型の可動式シートの設置を考案した。普段はシートを開けて作業を行い、降雨時や作業終了時はシートを閉める。現場全体を覆うこの大きな「傘」は、工事が進み約20メートルの「素屋根」が完成して建物全体をすっぽり覆うまで現場を雨から守った。
素屋根が完成した後は、天から降る雨には左右されない環境が整ったが、隣接する橋爪門続櫓の屋根を伝って現場に入り込んでくる雨水をどう処理するかが問題となった。試行錯誤の末、新保が出したアイデアは、たわませたシートを仮設の雨樋として使う、というもの。幅が広くしなやかな樋は、ゲリラ豪雨に伴い滝のように注ぎ込んでくる大量の雨水もしっかりと受け止め、現場の脇へと導いた。

素屋根は工事中の建物を風雨から守るだけでなく、屋根・外壁・軒先・軒裏など建物各所の施工時の足場としての機能も有する。新保が特にこだわったのは、作業ステージの位置である。適切な位置に作業ステージを設ければ、職人が無理のない体勢で、安全に、質の高い仕事ができる。逆に位置を間違えることがあれば作業に支障が出る。新保は何度も図面を確認し、正確に位置を割り出した。

素屋根組立

素屋根全景

入田屋破風銅板包み

Project 05

復元過程を県民、観光客に公開

金沢城の一連の復元事業は、県民に匠の技を披露しつつ、金沢城への理解を深めてもらうための貴重な機会でもあった。このため橋爪門・二の門を覆う素屋根内には見学ステージが設けられ、県民や観光客に無料開放された。
「見学ステージは作業する職人と同じ目の高さになる位置に設けられ、現場との境には目の粗いネットがあるだけ。木の匂い、土壁の匂いが漂う臨場感の中で、多くの人に職人の素晴らしい技術を見てもらえた」と新保は誇らしげに語る。
これとは別に、専門家による説明や施工の実演を交えた見学会も、工事の節目ごとに開催した。

その後、素屋根は解体され、橋爪門・二の門がその威風堂々とした建築美を現した。
県内の建具業者のもとで製作されていた、高さ3.2メートル、幅2メートル、框の厚さ15センチの総欅づくりの大扉も完成。吊り込みにあたっては、左右の扉の建て付けに狂いが生じないよう最新の注意を払った。新保がほっと胸をなでおろした瞬間である。

常設見学台

現場見学会

現場見学会

Project 06

経験と知識を
次のプロジェクトストーリーにつなぐ

2年9カ月にわたった橋爪門・二の門の復元工事は無事終了し、同工事は知事表彰を受賞した。事前にどれだけ予測しても、現場では必ず想定外のことが起こる。そう理解した上で緻密に段取りしてきた新保が掴んだ勲章である。

橋爪門の完成により、金沢城の三御門のすべてが整ったことになり、一帯に江戸後期の景観がよみがえった。藩政期、防衛上の工夫がなされた堅牢な城門であった橋爪門は、今は大きく扉を開いて国内外の観光客を招き入れている。

新保にとって橋爪門の復元工事は、伝統的な工法や技術を継承していく重要性を再認識するきっかけとなった。同時に「伝統的な工法は進化しながら、現代の建築工法の中に脈々と生きている」との気づきも得たという。
城郭建築の復元プロジェクトは、真柄建設にとって、そして日本全国を見回しても特別な工事である。同様の工事はそうあるものではない。しかしここで培われた経験と知識は、別の場面、別の現場で新たなプロジェクトストーリーを紡ぎ出していくだろう。